2026年 創業記念日 社長挨拶
当社は2026年7月1日に創業127周年を迎え、代表取締役社長 大谷祐介が6月30日に飯野海運グループ全社員に向けて下記の通り挨拶を行いましたのでお知らせいたします。
明日7月1日に、127回目の創業記念日を迎えるにあたり、役職員の皆様に一言ご挨拶申し上げます。
まずは、日々の業務を通じて、海運業、不動産業、そしてグループ各社の事業を支えていただいている役職員の皆さん、また海上で安全運航に尽力されている乗組員の皆さんに、心より御礼申し上げます。特に現在、ホルムズ海峡を巡る緊張の高まりの中で、厳しい環境下において運航に従事されている船員の皆さん、そしてそのご家族の皆さんには、心より敬意と感謝を申し上げます。ホルムズ海峡が早期に自由で安全な通行に戻ることを切に祈るばかりです。
今回の挨拶では従来と少し視点を変えて、飯野海運の歴史を振り返りたいと思います。当社がどのような環境の変化に向き合い、どのような判断を重ね、現在の姿に至ったのか、飯野海運のDNAがどのように継承されてきたのか、その経緯を、今年の創業記念日を迎え、皆さんと改めて共有したいと思います。
当社の歩みは、1899年、明治32年7月、創業者である飯野寅吉が、京都府舞鶴に飯野商会を創立したところから始まります。当初の事業は、曳船による石炭運送業と港湾荷役業でした。創業直後の飯野商会は、石炭納入だけでなく、港内荷役、作業員供給、艀や曳船による運搬へと事業を広げていきます。
そして1918年、飯野商会は飯野商事株式会社へと改組されます。資本金100万円で設立され、個人商店から株式会社となりました。
1922年には、飯野汽船株式会社を設立し、飯野商事株式会社が請け負っていた海上輸送を分離継承します。ここに、港運業から本格的な海運業へと踏み出す道筋が明確になりました。
戦前における当社の発展を語るうえで、重要なのは、貨物船とタンカーへの展開です。石炭から石油へ、エネルギーの中心が変わっていく中で、当社はタンカーという新しい分野に踏み出しました。そして1944年には、現在の商号である飯野海運株式会社へと改称しました。
戦時下で統制が強まる中、当社は海運会社としての体制を整える一方で、極めて厳しい時代を迎えることになります。第二次世界大戦は、当社に甚大な被害をもたらしました。戦時中に喪失した船腹は40隻、支配船腹の75%に達しました。また、殉職戦没船員は790名、殉職者を加えると813名の尊い命が犠牲となりました。この事実は、当社の歴史を語るうえで、決して忘れてはならないものです。
終戦後、当社は13隻で事業を再開しました。1946年には、本社を舞鶴市から千代田区丸ノ内へ移転します。これは、戦後復興の中で、当社が再出発するための大きな一歩でした。
1949年には東京証券取引所に上場し、戦後の混乱の中で、当社は海運会社として再び立ち上がり、日本経済の復興と成長を支える役割を担っていきました。
一方で、1950年代には、当社にとって、将来もう一つの大きな柱となる出来事がありました。それが、1955年の千代田土地建物株式会社の取得です。この判断は、その後、1960年の飯野ビルディング竣工へとつながります。同年には、千代田土地建物株式会社は飯野不動産株式会社へと改称されました。以降の海運集約にともなう当社再建のために同社は大いに貢献します。海運業と不動産業を組み合わせた事業構造の原型は、この時期に形づくられました。
1950年代後半から1960年代前半にかけて、当社を取り巻く海運市況は大きく変動します。スエズ運河の閉鎖を契機に、タンカー運賃は一時的に高騰しましたが、その後は反動不況に直面しました。好況の中で拡大した船隊、過大な投資、運賃市況の悪化。市況産業である海運業の厳しさを、当社はこの時期に深く経験することになります。その中で大きな転換点となったのが、1964年の海運集約です。当社は、海運集約に際して、定期航路部門を分離し、飯野汽船株式会社に譲渡、飯野汽船は川崎汽船株式会社と合併し、以降、当社はタンカー・不定期貨物船経営を主力とする道を歩むことになります。これは、会社の存続と再建をかけた極めて重い経営判断でした。定期航路を手放すことは、当時の当社にとって大きな痛みを伴うものであったはずです。しかし、他社と全面合併することを是とせず、粘り強く飯野海運の名前を残したことこそが、今日に至るまで当社を存続させた根幹的な精神である、と感じています。
海運集約後、当社は再建に向けて歩みを進めます。1971年には13年ぶりの復配が実現します。厳しい再建期を経て、収益力を取り戻し、株主に配当を再開できたことは、当時の役職員にとって大きな節目であったと思います。
1972年には第1世代VLCC「東邦丸」が竣工し、オイルタンカー事業は当社の主力事業として発展していきます。
1979年には、ケミカルタンカー「ESPOIR」が竣工し、当社グループ初のケミカルタンカー傭船を開始します。1985年には、SABICと中東積み極東向け石油化学製品の数量輸送契約を締結しました。ケミカル船事業は、単なる市況追随型ではなく、特殊貨物の知見、運航品質、営業力、そして顧客との長期的な信頼関係を組み合わせることで成り立つ事業です。ここにも、今に継承された当社らしい専門性と信頼の積み重ねがあります。
ガス輸送でも、当社は段階的に事業を広げていきました。1960年には本邦初の加圧式内航ガス船「桃邦丸」が竣工し、内航LPG輸送に進出しました。1963年には当社グループ初の外航LPG船「豊洲丸」が竣工します。その後、エチレン、VLGC、LNG、さらには近年のLPGやエタン二元燃料主機搭載VLGCへと、ガス輸送の領域は大きく広がっていきます。
ドライバルク事業についても、1970年の「第五全購連丸」を起点に、電力炭、肥料・飼料原料、チップなど様々な貨物へと展開していきました。2000年には、当社グループ初のケープサイズ型ドライバルク船「BLUE ISLAND」が竣工しています。
オイル、ケミカル、ガス、ドライバルク。現在の当社海運事業のポートフォリオは、時代ごとの需要と当社の強みを重ね合わせながら、長い時間をかけて形成されてきたものです。
そして、1974年にはイイノマリンサービス株式会社を設立し、船舶管理業務を専門に担う体制を整えました。翌年には、わが国初の仕組船混乗化を実現しています。これは、単に船を持ち、運航するだけではなく、船舶管理、配乗、運航品質そのものを高める、業界でも非常に画期的な取り組みでした。
不動産事業についても、海運と並ぶ重要な歩みがあります。1983年には東京富士見ビル、1988年には飯野竹早ビルが竣工しました。そして1997年には、当時子会社であった飯野不動産株式会社を吸収合併し、当社が海運業と不動産業を一体的に運営する体制がより明確になります。不動産事業の運営を支える機能として、1987年にはイイノ・ビルテック株式会社の前身にあたるイイノビルメンテナンス株式会社が設立されました。安全・快適性の維持といった運営機能をグループ内に持つことは、不動産事業の品質を高めるうえで重要でした。現在のイイノ・ビルテック株式会社は、こうした流れの中で育ってきた関係会社です。
1980年代から90年代にかけては、海運業界にとって厳しい時代でもありました。1985年のプラザ合意により、円高や海運市況の低迷など、当社も多くの課題に直面しました。この時期、当社は21世紀委員会を発足させ、収益減少に対するコスト構造改革として緊急雇用対策や新規事業の検討を進めました。これは厳しい環境の中で、グループとして新しい収益機会を見出そうとする取り組みでもありました。この流れの中で、コンビニ、スポーツ関連事業など、さまざまな新規事業が生まれ、その中でも、現在の関係会社につながるものとして、メディア関連事業を行う株式会社イイノ・メディアプロが設立されました。
2000年代に入ると、当社はさらに海外事業を強化します。2002年には、シンガポールに現地法人IINO SINGAPORE PTE LTD.を設立、2004年にはロンドンにIINO UK LTD.を設立しました。2006年にはケミカルタンカー運航業務をIINO SINGAPORE PTE LTD.に移転し、将来の従業員多様化の準備も開始しました。
不動産業では、2006年に汐留芝離宮ビルディングが竣工しました。さらに2011年には現在の飯野ビルディングが開業しました。新しい飯野ビルディングは、当社の本社として、また社会に開かれた都市空間として、新たな役割を担うことになります。
以降も、当社は米国やドバイでの現地法人の開設や、英国での不動産物件の取得等、海外展開と事業ポートフォリオの拡充を続けています。
こうして振り返ると、飯野海運の歴史は、環境変化のたびに、自らの立ち位置を見直し、何を残し、何を変えるかを判断してきた歴史と評価できます。
当社の企業理念、そしてIINO VISIONは、この歴史の延長線上にあります。安全の確保を最優先に、人々の想いをつなぎ、より豊かな未来を築きますという理念は、創業以来、形を変えながら続いてきた当社の存在意義そのものです。石炭を運び、原油を運び、ガスを運び、化学品を運び、木材やチップを運び、また都市の中で働く場を提供してきた当社の事業は、常に人々の暮らしや産業を支えるものでした。
そして、海運業と不動産業を組み合わせ、環境変化に対する耐性を高め、次の成長投資に向かう力を蓄えてきました。現在進めている事業ポートフォリオ経営は、この歴史的な蓄積を基礎として、より戦略的に進化させる取り組みです。
今回の新中期経営計画「Transformation for a Sustainable Future」 (計画期間:2026年4月~2031年3月)では、持続可能な未来を実現するために、資本効率と成長投資を両立する「変革」をテーマに掲げています。ここで大切なのは、この計画が経営陣だけのものではないということです。各部、各社がそれぞれの役割を認識し、ミッションとして業務遂行をしていくことです。各部門、各社、そして一人ひとりの仕事に結びついて初めて、会社の力になります。
当社はこれまでも何度も大きな変化に直面し、そのたびに乗り越えてきました。次の時代に必要とされる会社であり続けるために、考え抜き、行動してきた、その積み重ねが、現在の飯野海運グループです。
これからの飯野海運グループに求められることも、同じことだと思います。安全を最優先に、品質を守り、顧客からの信頼を積み重ねること。そのうえで、時代の変化を、他人事にせず、自分たちの仕事、自分たちの将来に引き寄せて考えること。そして、変革に踏み出すことです。皆さんには、自身の仕事がこの127年の歴史の一部であり、同時にこれから先の歴史をつくる一歩であるということを、是非意識していただきたいと思います。
それでは、結びにあたりまして、
グループ全船の安全運航、所有ビルの安全無事故
グループ各社の一層の繁栄
グループ役職員の皆様ならびにそのご家族のご健勝とご多幸を
祈念いたしまして、私の挨拶とさせて頂きます。
ご清聴ありがとうございました。
以上