会社情報
創業から現在まで、およそ120年。
第二次世界大戦やプラザ合意による円高、リーマンショックに端を発する金融危機など、世界経済は未曾有の出来事によって何度も激変を余儀なくされてきました。
そのような地殻変動を経ながら、約120年にわたり、変わることなく独立経営を続けてきた飯野海運。1899年に飯野商会として誕生した当社は、1929年には初のタンカーを竣工し、タンカー事業に進出。1950年代には不動産事業にも着手し、二つの事業を柱として経営基盤を拡大し続けてきました。
変わらないという挟持。そして、変わり続けるという勇気。創業120年を間もなく迎える今、飯野海運は新しい人材とともに、新しい時代へと漕ぎ出そうとしています。
第二次世界大戦やプラザ合意による円高、リーマンショックに端を発する金融危機など、世界経済は未曾有の出来事によって何度も激変を余儀なくされてきました。
そのような地殻変動を経ながら、約120年にわたり、変わることなく独立経営を続けてきた飯野海運。1899年に飯野商会として誕生した当社は、1929年には初のタンカーを竣工し、タンカー事業に進出。1950年代には不動産事業にも着手し、二つの事業を柱として経営基盤を拡大し続けてきました。
変わらないという挟持。そして、変わり続けるという勇気。創業120年を間もなく迎える今、飯野海運は新しい人材とともに、新しい時代へと漕ぎ出そうとしています。
飯野海運グループ
飯野海運は、複数のグループ会社から成り立っています。これは、事業の効率化のため、主に業務内容ごとに分社化されて運営されているためです。
そのため社員も、グループ会社へ出向したり、戻ったり、ということがよくあります。しかしながら、飯野海運と同じフロアにオフィスを構えているグループ会社も多く、出向といっても部署の異動のような感覚です。
なお、人材採用に関しては、飯野海運として一括で採用を行い、配属にともなって必要に応じてグループ会社に出向していただくことになります。
そのため社員も、グループ会社へ出向したり、戻ったり、ということがよくあります。しかしながら、飯野海運と同じフロアにオフィスを構えているグループ会社も多く、出向といっても部署の異動のような感覚です。
なお、人材採用に関しては、飯野海運として一括で採用を行い、配属にともなって必要に応じてグループ会社に出向していただくことになります。
会社沿革
飯野寅吉、京都府舞鶴市に飯野商会を創立し、曳船による石炭運送業および港湾荷役業に着手。
飯野商事株式会社を飯野海運産業株式会社と改称し、飯野汽船株式会社と合併。
飯野海運産業株式会社を現在の商号である飯野海運株式会社と改称。
東京証券取引所に上場 (昭和27年10月までに、順次大阪証券取引所ほか国内全証券取引所に上場)。
バンコク定期航路、インド・パキスタン定期航路およびニューヨーク定期航路を開設、定期航路経営に本格的に進出。
飯野不動産株式会社設立。
飯野ビル(延床面積76,808.82m²)竣工。同ビルに本社移転。
イイノホール営業開始。海運集約に際し、定期航路部門を分離し、新たに設立した飯野汽船株式会社に譲渡(同社は川崎汽船株式会社と合併)。
イイノマリンサービス株式会社設立、船舶管理業務を行う。
飯野不動産株式会社と合併。
貸フォトスタジオ運営会社「イイノ・メディアプロ」設立、「広尾スタジオ」運営開始。シンガポールに現地法人IINO SINGAPORE PTE LTD.を設立。
貸フォトスタジオ「南青山スタジオ」運営開始。ロンドンに現地法人IINO UK LTD.を設立。
当社および三井物産株式会社、QATAR SHIPPING COMPANYの3社により合弁会社QIM TRANSPORT INC.を設立。
本社事務所を飯野ビルディングに移転。
米国ヒューストン事務所IINO LINES(U.S.A.)INC.を開設